増田城(土肥館)



所在地 秋田県横手市増田町字土肥館
様式 平城
築城年代 貞治年間
落城・廃城 元和二年(1616年)
築城者 小笠原義冬
主要城主 小笠原義冬 土肥氏 長瀞内膳
遺構 土塁 板碑
おススメ度  

<歴史・概要>
主郭は推定東西200m南北300mの方形で四方に水濠を廻らした平城である。わずかにグランド北西隅に土塁の一部が残り築城時の哀話を秘めた杉が立っている。
この城は貞治年間に三又城主小笠原義冬が築城し移り、光冬が永享年間に楢岡に移ると大館亀岡城主であった土肥氏が入り以後土肥氏の居城となった。その後天正十八年に土肥次郎道近が最上氏に降ると最上氏の武将長瀞内膳が城主となったが慶長七年の佐竹氏入部と同時に佐竹氏の城代が居城するに至り元和二年佐竹義賢を最後に破却された

<仙北一揆>
天正十九年九月に太閤検地に反対する一揆が起こり川連山田、増田の古塁に一揆勢が立て篭もった。
増田城では鍋倉四郎を大将に抵抗するが上杉景勝により一揆は鎮圧された。

増田城は現在増田小学校となっています。

説明版と土塁。

貞治碑と二本杉。

貞治碑は1924年小学校の建設作業中、土中から掘り出された。増田城跡で地元では、築城時の人柱伝説が語り継がれていた。城の土堅めとして城主の姫と子牛が生き埋めにされたという。碑には、「貞治二年六月九日」(1363年)と刻まれていた。その日は姫の三十五日忌。碑は菩提弔うために建てられたと思われ、史実の表付けがあった。

貞治碑。