黒川館
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所在地 | 横手市黒川字館東 |
様式 | 平城 |
築城年代 | |
落城・廃城 | 天正十八年(1590年)? 慶長五年(1600年)? |
築城者 | |
主要城主 | 黒澤甚兵衛 黒川縫殿助 |
遺構 | |
おススメ度 |
<歴史・概要> 横手盆地の中央東部、横手川の南に位置し周辺3キロ以内に西野館・黒澤甚兵屋敷・真壁館など四つの居館がある。 城主は黒澤甚兵衛とも黒川縫殿助とも伝えられる。黒沢甚兵衛は小野寺義道の信任篤く数々の合戦に従事し小野寺氏改易後は佐竹義宣の知遇を得て出仕し藩の検田法制定に参画し大阪冬の陣では徳川秀忠に武勲を賞されるなど華々しい経歴を持つ。 黒川縫殿助は角館城主戸沢氏の家臣で天正十五年(1587年)の阿気野合戦に出陣し館は秀吉の命で破却された戸沢三十五城の一つであるとも伝えられる。 東京大学所蔵文書の「六郷城主六郷兵庫頭戦功覚」に「慶長五年十月九日、於仙北黒川朝掛之合戦に首級五ツ御討取黒川城破る」と残されているがこの時攻め落とされたのが黒川館か西野館か謎である。 |
説明板周辺。農地化で遺構は消滅。 |