金沢城発掘調査報告会 2015年



2015年9月25日
<発掘調査の目的>
金沢柵推定地のひとつ陣舘遺跡で後三年合戦前後の時代とみられる四面庇付掘立柱建物跡や土師器・鉄鍋などが出土したが陣舘遺跡だけでは金沢柵としては規模が小さいとの指導を受け、もう一つの候補地である金沢城跡の安本舘(西の丸)の調査を行った。
安本舘は自然地形を利用する山城構造としては古い要素持つことから選ばれたとの事。

<発掘調査の結果>
遺構は四面庇付掘立柱建物跡、掘立柱建物跡、柱穴、板塀跡、溝跡が検出され遺物は中国産染付皿、白磁器、青磁器、瀬戸美濃大窯皿、古銭、碁石、坩堝などが出土したが15〜16世紀までの物と考えられるため後三年合戦(11世紀)の年代とは合致しませんでした。
しかしながら清原氏関連遺跡で確認されている四面庇付掘立柱建物跡が検出された事で更なる調査による後三年合戦年代の遺物の発見に期待が高まっているようです。

安本舘を発掘し後三年合戦で落城した金沢柵に関連した遺物の発見を目的としているようです。

建物の柱跡(ピット)が多数見つかりました。

ピットの中には礎石も見られます

板塀跡。岩盤は掘削出来なかった様で工具痕跡が確認できるそうです

ビニールテープは柱跡を結んでおり建物の構造を現しています。
参加者それぞれが想像を膨らませここにどんな建物が建っていたのか思い描いた事でしょう。

出土遺物

出土遺物。
発掘調査で清原氏時代の遺物が発見され世界遺産の平泉関連遺跡として地域活性の一翼を担う事は大変喜ばしい事と思いますがその事により小野寺氏の「金沢城」が「金沢柵」に覆い隠されてしまうのは寂しい気がします。