小鼓城(植田城)



所在地 秋田県横手市十文字町字植田
様式 平城
築城年代
落城・廃城 文禄五年(1596年)
築城者
主要城主 大石駿河守定宗 大石誉九郎定景
遺構
おススメ度    

<歴史・概要>
現在は僅かに堀跡の一部と想像される微低地が残存するだけである。
小鼓城址の碑のそばの集落が館とよばれていることから、これが城の一角であったことがわずかに偲ばれる。付近に古四王神社があり小鼓城主の守護神であったといわれる。文禄五年の最上勢により落城した。
「柞山峯之嵐」に小野寺は最上に取られた植田・川熊・新田目の四ヶ城を翌年攻めて取り返したとある。
大石誉九郎定景は大島原合戦の際、燕橋付近で討ち死したとされる。

<多門天立像の事(古四王神社の御神体)>
四天王の一つで仏天の北方を守る。桂の一本作りで元は彩色してあったらしいが今は剥げて黒褐色の地肌を表している。彫法は荒い乱刀法で室町時代の地方仏師の作である。秋田県重要文化財指定。
この仏像は大舘城主が祀った大舘の古四王神社の御神体でで享禄三年の秋の大洪水で流されたものを小鼓城主の大石定景が鷹狩の帰りに皆瀬川の川原で拾い上げた。既にあった熊野神社の一角に祀りその後一社を創建したのが植田の古四王神社であるという。大舘から再三に亘る返還要求がなされたが遂に返還されることはなかったと伝えられる。

標柱と古四王神社の由来碑が建てられています。

小鼓城と所縁のある古四王神社

周囲は耕作地や宅地、県道が通り遺構は消滅しています。正面の森が古四王神社。