悪戸城



所在地 横手市雄物川町字西野悪戸
様式 平城
築城年代
落城・廃城
築城者
主要城主 西野氏
遺構
おススメ度    

<歴史・概要>
舘跡は周囲より1.5m程高くなっている。北方柏木集落にある明神社付近の集落を包むように幅4〜5m・高さ3m・長さ20〜30mの土塁が東・南側に二本湾曲した形で残り関連遺構と考えられる。屋敷添の地名が残り、正保四年検地帳には付近の地名として舘堀向・舘野が記される。
当地の伝承では舘主を小野寺氏家臣西野修理道房としており在地性の強い村落領主と推定される。

阿気野合戦の際、角館城主戸沢盛安が沼館城攻略の為攻寄せたが西野氏が大軍を率いて沼館城救援に向かった為戸沢勢が兵を引いたと奥羽永慶軍記等で伝えられている。

集落内を散策してみると周囲より高い地形が見られる箇所があります。

明神社。「秋田県中世城館報告書」に記載されている土塁を探して周辺を歩いてみたがそれらしい物は発見出来ませんでした。