大屋館



所在地 横手市大屋新町字鬼嵐
様式 山城
築城年代 寛正六年(1465年)
落城・廃城
築城者 小野寺道寿
主要城主 小野寺道寿 日野備中守 小野寺道治
遺構 曲輪 空堀 土塁 畝状竪堀
おススメ度  

<歴史・概要>
山麓を旧羽州街道が通り、大小の溜池によって潅漑される水田が多く、戦国期すでに「食邑千貫」の地であった。東(横手沢)と南の渓流を水濠に当て、三方急崖をなす三角錐状の頂上に、二の丸(東西約35m南北約50m)を設けている。その西の縁辺に見られる狭長な平垢面も、何らかの郭であったろう。主郭は北端のやや低い縁に置かれ東西約20m南北約23m程度である。この東縁に大規模な空堀(幅約6m深さ約5m)が認められ、そこに3条の竪堀が付随している。南西端の緩斜面にも幅約5m深さ約3mの空堀があって、両者とも高さ2m位の土塁を伴う。二の丸の東と南に大小の段地が8か所見られる。根小屋は西麓約1km先に造られていたが、今堀ノ内の小字が伝わるのみで遺構消滅。『横手郷土史資料』Iによれば、寛正6年頃小野寺道寿(泰道の3男)築城し、その後永禄年間頃日野備中守某居城といわれ、天王10年頃から文禄5年頃にかけて小野寺道治が名を残している。小野寺氏ゆかりの光徳寺が現存。

大屋館説明版。登城前にご一読をお奨めします。

館跡には道が設けられています。

眼下に大屋地区を見渡せます。

二の丸

主郭へ道が延びています

道から二の丸方面を向いています。

主郭。大谷館(大屋館)の標柱が建てられています。

主郭には空堀が廻されています。小野寺氏城館で多用されている畝状竪堀と併設されている箇所もあります。

空堀の下に降りてみました。

空掘

空掘

小野寺氏ゆかりの光徳寺。四世淨慶は小野寺氏と最上氏の合戦の最に法躰に武装し小野寺氏のために戦ったという。