金沢城発掘調査報告会 2016年



2016年10月22日
<目的>
遺跡内容確認調査

<結果>
遺構:柱穴30基以上、掘立柱建物跡2棟以上、盛土整地10地点、溝跡(板塀跡、柱材列)3条、堀跡1地点、土塁1地点。
遺物:須恵器甕、中国白磁碗、古瀬戸瓶子、須恵器系陶器甕、信楽甕、鉄製品、土器

安本舘東側斜面。
発掘調査で木や藪が刈り払われ見晴らしが良いです。斜面に段差と土塁、堀を見ることができます。
自身の金沢城探索では見つけることが出来なかった遺構ですのでとても感激しました。

柱穴

盛土の断面から読み取れることを説明中。今回は参加者が多く説明員のそばに行くのも難しい状況でした。

土塁の上から空堀を見下ろす。高低差10m程との事。
堀の対岸の土塁上にも兵を配置し堀底を進んで来た敵兵を挟撃したと考えられるとの事です。
対岸の土塁は孤立しており撮影位置から撤収されてしまうと見殺し状態に陥る何とも冷徹構造です。
ここと斜面の段曲輪が安本舘の防衛拠点と思われます。

堀底から撮影

こうした断面を見ることにより城の改修回数が読み取れるそうで金沢城は少なくとも3回の改修を施したと考えられるそうです。

堀跡断面。岩が残されており削るのを断念した様子が伺えます。
調査の結果、金沢城は南部氏・小野寺氏により少なくとも3度の大規模改修を受けながら使用された大規模な中世山城と判明したそうです。
縄張り図を見ると金沢城北側の構造が複雑になっているのは北からの侵攻に非常に神経を尖らせていた事が伺える様です。
小野寺氏側の視点で見ると金沢城奪取直後の南部氏に対する警戒かまたはもう少し時代が下った戸沢氏への備えか想像が尽きません。