朝草刈城



所在地 秋田県横手市前郷字城付
様式 山城
築城年代 寛正六年(1465年)
落城・廃城 文明九年(1477年)以降
築城者 小野寺泰道
主要城主 小野寺氏
遺構 虎口 曲輪 土塁 堀切 空掘 土橋
おススメ度

<歴史・概要>
通称愛宕山の上水道配水場付近が城跡。
複郭性削平地が5面認められる。主郭と推定される中央の郭は東西約40m南北50mの三角形状であり周囲に幅約4m深さ約2mの空掘りを廻らし北東の広大な郭との間に堀切(幅約5m深さ約3m)を設けている。物見台と思われる南西の郭との間にも堀切(幅約6m深さ3m)が2条見られその東斜面に段地2面と空掘がある。空掘はそれぞれ高さ約2m弱の土塁を伴う。
付近の水田から武将の馬具・くつわが出土し戦国期の遺物と推定された。
一時南部清光に屈服した小野寺泰道が寛正六年に同氏に反攻のために築いた詰めの城として築城し、泰道死後に廃城となったとされる。

城登り道付近。左手に進むと配水場の施設があります。

南口に向かうと城跡へ至ります。

先住民族館の碑が建っています。「山と川のある町 歴史散歩」によると朝草刈城は実はチャシ跡だとの事。
ここでは小野寺氏城館として紹介させていただきます。

物見と思われる南西の曲輪。

物見台北側の二重空堀。土橋も架けられています。

物見台を見上げています。

物見台北側の曲輪。

櫓台でしょうか?高台になっています。

虎口のように見えます。

左側の曲輪と右側の虎口の間に空堀が設けられ右側の曲輪を取り巻いています。

前出左側の曲輪。

右側曲輪を取り巻く空堀。

主郭。右側に空堀が廻っています。

主郭を取り巻く土塁と空堀。

北東の広大な曲輪。

北東の曲輪から横手城の模擬天守閣が見えます。

主郭と北東曲輪を分断する堀切。堀切は主郭を取り巻く空堀へ続いています。

堀切から続く空堀。

堀切から続く空堀。土塁がきれいに残っている箇所もあります。