八木城



所在地 横手市増田町八木字屋布合
様式 平城
築城年代 永禄年間
落城・廃城 慶長六年頃
築城者 八木親家
主要城主 八木親家・道家・道長
八木刑部之丞盛平
小笠原義冬
遺構
おススメ度    

<歴史・概要>
皆瀬川右岸の低い段丘上に位置し北東約500mに本城である増田城がある。遺跡は皆瀬川に沿って細長く続く八木集落に抱合され現在その痕跡を留めないが集落全域を屋布合と呼びことから、そのほとんどが城域であったと考えられる。八木氏系譜によると永禄年間に八木親家によって築城されたといわれ、慶長六年頃まで存続したらしい。居城者としては、八木親家-道家-道長(八木氏系譜)、八木刑部之丞盛平(満福寺文書)、小笠原義冬(雪の出羽路)の名が見える。二代目道家は藤兵衛と称し、増田土肥氏に臣従し小野寺被官として宗家廃絶まで仕えたという。集落内には道家(どうけ)屋敷の俗称が残っている。

<八木道家>
小野寺家重臣松岡家より八木家に養子に入り家督を相続。小野寺家改易後は佐竹氏に出仕し小野寺旧臣を取りまとめ角間川地区の開墾に従事した。正保二年(1645年)没。
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八木集落内に「八木藤兵衛道家居館跡」の標柱が建てられています。

この付近は「ドウケ屋敷」と言われ八木藤兵衛道家の居館跡と言われています。

集落内を探索してみましたが遺構は見当たりません。集落は段丘上にあり城の面影が感じられる地点を撮影しました。

八木神社。かつての城跡は神社に変わったのかもしれません。

八木神社境内。

八木集落遠景。

大仙市角間川にある喜福院。八木道家のお墓があるらしいのですが見つけることが出来ませんでした。

八木城周辺城館配置図。
秋田遺跡地図に記載されていた館ヶ沢舘が八木城の詰城の機能を担っていたのでは思い探索に出かけましたが藪が酷く断念しました。