八幡林館



所在地 湯沢市松岡字八幡林
様式 山城
築城年代
落城・廃城
築城者
主要城主 千葉氏
遺構 曲輪・帯郭・腰郭・切岸・畝状竪堀・空掘・土塁
おススメ度

<歴史・概要>
霊仙院の裏山が館跡で標高224m,比高110mの山頂に位置する。主郭は50*30mの平坦面を中心に8面は連なり、比較的緩斜面の東側に幅5m以上の2条の腰郭と要所々に最大深さ2m、上幅4mの竪堀を配する。西側は急斜面で南に堀切に連続する幅5mの腰郭を除いてさしたる防御施設を作らない。前面にあたる北側は幅10m程度の腰郭及び上幅2m深さ1mの空掘とこれにセットされた竪掘が8条、ほぼ等間隔に並ぶ。
「雪の出羽路」には霊仙院を千葉氏の菩提寺とするが千葉氏の居館は羽後町飯沢字水呑の「黒戸の屋敷」であるとする。

<千葉氏>
「山田の歴史」によれば元弘の乱の際に千葉・柴田両氏は鎌倉を落ち延び羽後町飯沢字水呑に入り「黒戸の屋敷」を構え数代に渡り居住した。その後飯沢から松岡郷切畑へ進出し千葉氏は八幡林へ城郭を構え柴田氏は中田集落へ城を構えた。
小野寺輝道の代になり千葉氏は討伐されたか臣従したと思われ小野寺氏改易後は松岡郷の肝煎となり善政を施した。
桑崎郷肝煎高橋家に養子として入った松岡郷肝煎千葉治兵エの三男常作は天保四年(1833年)に起きた大飢饉の農民救済の為に養蚕、茶、楮、漆の作付けを奨励し農村振興を図った。その功績は久保田藩にも認められ親郷肝煎を命じられた。

祝融山霊仙院。この日はお寺の駐車場を借用しここから直登しました。

しばらく登ると平坦面(曲輪)が現れます。

曲輪

曲輪

館跡東側の横堀。小野寺氏城館の定番の横堀と畝状竪堀の複合遺構を見る事ができます。

畝状竪堀。

畝状竪堀。

帯郭

主郭切岸。

方形に区画された曲輪があります。主郭の下に位置します。

主郭。50*30mの規模。

主郭後方東側の畝状竪堀。

他にも東側に連続竪堀が設けられています。

東側帯郭

東側帯郭の南端。ここの下に二重横堀が設置されています。

二重空掘全景。

二重空堀

二重空掘を一本づつ。

二重空掘を一本づつ。

二重空掘には土橋が掛けれています。

二重空掘と土橋。


館跡に何かの施設が建設されています。


施設の作業道と思われるものが麓へと続いています。ここを降りて帰りました。

八幡林館全景。正面のお宅の脇を抜けると前出の作業道へ至ります。