関口城
|
所在地 | 秋田県湯沢市関口字館落 |
様式 | 山城 |
築城年代 | |
落城・廃城 | |
築城者 | 関口出羽守 |
主要城主 | 関口春道・伊良子大和守 |
遺構 | 曲輪 切岸 |
おススメ度 |
<歴史・概要> 雄物川右岸、戸沢川の右岸頂上にある。標高290m、比高90mの山城。70m×40mの主郭を中心に連郭性平坦面を持つ。 佐々木氏(関口氏)が城主を務めたが最上氏の雄勝郡進出後は最上家臣の伊良子氏が城主を勤めた。 |
<関口氏> 『佐々木大系図』などによると、はじめ江州鯰江地方を領したが佐々木新太郎綱村のとき出羽国に下り、仙北の領主小野寺氏の客将となり、関口の番城を預かりそこに居住したという。それ以降佐々木氏は関口姓を名乗ったと思われる。 沼館城に居を構えた小野寺氏十三代稚道の時代には大森・刈和野・神宮寺・角館等の要害を次々と攻略し更に増田城主小笠原光冬や松岡城主柴田平九朗を討ち、有屋峠を越えて置賜郡真室地方や由利十二党も従え、佐々木氏の一族を真室地方に派遣し佐々木氏は鮭延氏を名乗り鮭延城を築く。小野寺義道の母方の姓は佐々木であったらしい。 小野寺氏の重臣として活動したらしく小野寺稚道が討たれた「平城の乱」では稚道の嫡子四郎丸(後の輝道)の逃走を助けたり最上氏との「有屋峠合戦」にも出陣し佐々木(関口)春道は先手を勤めて首数130を挙げたと奥羽永慶軍記で伝えられている。 その後太閤検地により雄勝郡の領有が最上氏に変わると関口氏は小野寺氏から離反したがその後復帰し馬鞍城主を務めた。 |
関口八幡神社参道。かつての大手道でしょうか?傾斜がきついです。 |
参道の石段から脇に逸れる道もある。 |
脇に逸れる道を行くと社がある。曲輪でしょうか? |
石段の終端付近。大手門でも設けられていたのでしょうか? |
石段を登ると平場が現れます。曲輪と思われます。 |
前出の郭跡から八幡神社社殿に繋がる石段。 |
曲輪 |
八幡神社社殿。 |
神社背後のある切岸。主郭はこの上にあると思われます。よじ登ろうとしましたが急斜面の為断念・・・ |
主郭と思われる地点を見上げる。段築が確認出来ます。 |
林道が敷設されており遺構の消滅も考えられます。 |