男鹿崎館
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所在地 | 秋田県湯沢市秋ノ宮字嶽下 |
様式 | 山城 |
築城年代 | |
落城・廃城 | 文禄二年(1593年) |
築城者 | |
主要城主 | 樋口氏 |
遺構 | 曲輪 空堀 土塁 虎口 石垣 |
おススメ度 |
<歴史・概要> 南東から延びる尾根を深さ1〜1.5mの計4条の堀切竪堀で切断、13×60m、10×13mの郭を持つ。郭の西側は急峻な崖が役内川に落ち込み特別な施設を持たない。東側は一部空堀を思わせる幅3〜5mの腰郭が廻り北側は尾根を深さ2mの堀切及びこれに連続する竪堀によって防御する。主郭に金毘羅社を祀る。北側斜面に大石が複雑に積み重なっており石垣とする伝承も残る。 「小野寺興廃記」によれば文禄二年の最上氏による雄勝郡侵攻の際樋口玄蕃正直の二子五郎道尚、次郎頼道が最上方に内通。男鹿崎を本拠に小野寺方八口内尾張守と戦ったとされ古戦場と言い伝えられている。 |
岳下集落の外れから道が続いています。 |
館は尾根に築かれています。 |
曲輪。 |
狭い尾根筋に築かれているため館は遺構の規模は大きくありません。 |
写真では判り難いですが尾根を4本の空堀で切っています。 |
前出の空堀。雪が積もっているほうが判りやすいと思います。 |
土塁のような高まりが見えます。 |
切岸。虎口のようなものが確認できます。 |
主郭。金比羅社があります。 |
腰曲輪。 |
主郭背後の堀切。眼下に役内集落を見ることができます。 山形の最上家による雄勝郡進攻の際に樋口五郎道尚、次郎頼道は最上方に寝返り男鹿崎館に籠り八口内城主の八口内尾張守に攻め落とされたと伝えられています。 |
石垣と伝承される石。 |
以前に男鹿崎館を訪れた時に地元の方に聞いた話だが八口内尾張守に敗れた樋口父子の霊が夢枕に立ち、慰霊の為建てた社があるそうだがこれの事でしょうか? |
主郭に建つ金比羅社の下に石がありました。伝承される石垣のものだろうか? |
主郭に立つ石柱。 「天保八年 酉年 願主 菅運吉」 と記されています。天保八年は西暦1837年にあたり大塩平八郎の乱が起きた年。 |