沼田城(三梨城)
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所在地 | 秋田県湯沢市三梨町字下宿 |
様式 | 丘城 |
築城年代 | |
落城・廃城 | 文禄五年(1596年)?慶長二年(1597年)? 慶長三年(1598年)? |
築城者 | 小野寺道実 |
主要城主 | 三梨系小野寺氏(道実 道親 道嗣 道則) 小笠原道英 |
遺構 | 本丸・二の丸・小館 土塁 空掘 水堀 |
おススメ度 |
<歴史・概要> 最高位は平坦地で城郭は北西寄りに位置し主郭に推定される。40m×40mの方形を呈し郭上に八幡社を祭る。二の丸は主郭南側に広がり、主郭と接合部東西60m、南東方へ順次狭くなる。その他小館と称される百坪ほどの平坦地がある。 |
<沼田城築城> 戦国中期に小野寺泰道の次男晴道の子、道実が築城したと伝えられる。 |
<沼田城落城> 稲庭・川連両城落城に続いて三梨城に鮭延典膳を大将に二千余人が押し寄せた。文禄五年四月二十九日夜には稲庭・川連両攻城兵も加わり最上軍は大軍となり三梨城を取り囲んだ。 城主小笠原太郎左衛門尉道英は二百余人を率いて大手口にいた鮭延の郎党川田三右衛門に攻撃を加えて三十余人を討ち取り鮭延典膳の陣に切り込んだが大勢に取り囲まれて一人も残らずに討ち取られた。最上方も百余人が討たれ手負いは四百余人に及んだ。程なく夜が明け、本丸から火の手が上がり三梨城は悉く焼けてしまった。鎮火後に本丸を見てみれば手負いの者、老人達が百人ほど自害して果てていた。 |
沼田城標柱。国道398号線沿いに立てられています。築城から落城までの簡単な説明文が記されています。 |
大手道。下宿集落から道が延びています。 |
大手道。 |
小館。百坪ほどの曲輪。 |
小館の脇を大手道が通り二の丸へと続きます。 |
二の丸虎口。 |
二の丸。本丸南側に拡がる |
一段高くなっているのが本丸。 |
沼田城本丸跡。八幡社が祀られています。落城時百人程が自害したと奥羽永慶軍記は伝えています。 |
城の西側の切岸・空掘・土塁 |
空掘と土塁。中々見ごたえがあります。 |
切岸(城壁)。横矢が掛けられているようにも見えます。 |
切岸(城壁) |
搦め手虎口。食違い虎口に似た形状です。 |
搦め手を見下ろす。道が逆Z形になっている。 |
城北側の曲輪。 |
搦め手を下ると林道へ出る。林道から二の丸を見上げる。 |
空堀。 |
水堀の役目を担う大沼。沼田城の名の由来となったのでしょうか。 |
集落内に水場があった。周辺は湿地帯だったのでしょうか。 |
搦め手へ続く道。 |
沼田城遠景。 |