松岡城



所在地 湯沢市松岡字新城
様式 山城
築城年代
落城・廃城
築城者 千葉氏
主要城主 千葉氏・柴田平九郎・松岡伯耆守・松岡越前守
遺構 曲輪・帯郭・切岸・堀切・畝状竪堀・空掘・土塁
おススメ度

<歴史・概要>
丘陵部を堀切った単郭性の城館。「雪の出羽路」に小野寺家臣松岡越前守某、「奥羽永慶軍記」に松岡伯耆守、松岡越前守と見える。
「雪の出羽路」では当初千葉氏、次いで柴田平九郎某とあり天文〜弘治年間に小野寺氏によって滅びたとされる。
城の南側は羽後町床舞に通じる間道がある。

<松岡氏>
「山田の歴史」によれば元弘の乱の際に柴田氏は千葉氏と共に鎌倉を落ち延び羽後町飯沢字水呑に入り「黒戸の屋敷」を構え数代に渡り居住した。その後飯沢から松岡郷へ進出し柴田氏は中田集落へ城を構えた。
柴田氏は柴田平九郎を名乗ったが小野寺輝道の代に討伐又は臣従したと思われる。その後柴田平吉の代となり松岡新城に松岡城を築き小野寺義道の側近となり松岡越前を名乗った。
小野寺氏改易後は佐竹氏に仕え角間川(大仙市角間川)の開墾に従事した。文化二年(1805年)に松岡平蔵により久保田藩に提出された系図によると
「平姓 松岡 本名 千葉氏 其先、千葉掃部助吉清、相州鎌倉より来て雄勝郡松岡に居住す。常吉に至って初めて小野寺に仕えて松岡を氏とす。・・・」とある。

床舞地区へ通じる間道。

間道を進むと神社があります。ここの少し手前から右手斜面を登るとすぐに城へたどり着きます。
最初地図を逆さまに見てしまい左手斜面を直登り尾根筋を1時間以上も歩き新城地区の北端まで行ってしまいました・・・

道へ迷っている時に発見した山道。床舞への間道と思われます。

二重堀切

二重堀切が横堀へ連絡し畝状竪堀と併設されています。(見下ろしたの図)

二重堀切が横堀へ連絡し畝状竪堀と併設されています。雪が残っている部分が横堀。

畝状竪堀と横堀の全景。小野寺氏城館の定番遺構です。

二重堀切の西側にも掘切が設けられています。

階段状に曲輪が設けられています。主郭へと数段続いています。

段郭の上から二重堀切を見下ろす。

二重堀切前方の帯郭。

城内最大面積の曲輪。主郭と思われます。50*20mの規模。

主郭北側の帯郭。

主郭東側へ曲輪が数段続いています。

主郭東側へ曲輪が数段続いています。

主郭東側の曲輪。

主郭東側の曲輪。

主郭東側最後の曲輪。城の前面にあたります。眼下に新城地区が見えます。

主郭東側最後の曲輪の前面に浅いながらも土塁と横堀が設けられています。

土塁と横堀の下には帯郭も設けられています。

主郭東側曲輪全景。主郭方向を見上げています。


帯郭


帯郭

曲輪と切岸。