逆井城


<所在地>

茨城県坂東市逆井1262


<歴史・概要>

逆井城はもともと逆井氏が治めていたといわれています。逆井(さかさい)常繁(つねしげ)公の代、天文(てんぶん)5年(1536)3月3日、小田原を本拠地とする後北条氏の軍勢に攻められ、以後、天正18年(1590)に後北条氏が豊臣秀吉に滅ぼされるまで、同氏の北関東進出の拠点となっていた、といわれています。

この地は常陸佐竹氏・結城氏・多賀谷氏との領国の境目にあたり、すぐ北側にある自然の要害である「飯沼」に囲まれ堅牢を誇っていたと思われます。なお、天正5年(1577)には、大鋸引を藤沢(神奈川県)より呼び寄せた、との記録もあります


逆井城は今から400年以上前の戦国時代末期(1577年)に後北条氏の北関東進出拠点として築城されました。1590年(天正18年)、豊臣秀吉が小田原城の後北条氏を滅ぼしたため、逆井城も廃城になりましたが、現在もその外堀と土塁が残っています。調査によって、櫓(やぐら)門、橋、塀、主殿、二層櫓などが復元されています。