<所在地>
茨城県つくば市小田
<歴史・概 要>
小田城は、鎌倉期から戦国期まで小田氏の居城であり、その始まりは小田氏の祖八田知家が文治元年(1185年)に常陸守護に任命されて当地に移って居館を構えたことによると云われる。
その後、南北朝期には、当主小田治久が南朝方に属し、小田城は常陸南部における南朝方の拠点となり、北畠親房や春日顕国なども入城している。
下って戦国時代の弘治・永禄年間、当主小田氏治は佐竹氏・多賀谷氏・真壁氏や越後の上杉謙信、小田原の後北条氏らと抗争を繰り返した。後北条氏と結んだ小田氏治は、永禄7年(1564年)に山王堂の戦いで上杉謙信に敗れるなど苦戦を強いられ、激しい小田城争奪戦が繰り広げられる。天正元年(1573年)(永禄12年説有り[2])の手這坂の戦いに敗れ、小田城は佐竹氏のものとなり、翌元亀元年に太田資正が城主になり、同三年に資正の子の梶原政景が城主になった。のち、佐竹氏の一族小場義宗が城主になったが、慶長七年(1602年)に佐竹氏の秋田移封に伴って廃城になった。
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