久保田城


<所在地>

秋田市千秋公園

<歴史・概要>

久保田藩主佐竹氏の居城である。矢留城、葛根城とも呼ばれる。土地の関係上「秋田城」と呼ばれることもあったが、古代に出羽国府が置かれた秋田城(あきたのき)とは所在地ともに別の城である。雄物川の支流仁別川左岸、程野村窪田にある神明山(しんめいやま、標高40m)に築かれた平山城で、石垣は基底部に僅かにあるのみでその上に土塁を盛られており、天守も持たず塁上に御出書院と呼ばれる御殿を建ててその代わりとし、8棟の櫓を建て並べていた。石垣が無いのは幕府に遠慮したためとも、石垣作りに精通した者が居なかったためとも言われるが、佐竹氏の旧領常陸国を含む東国ではもともと石垣を用いない築城法が一般的であったことも挙げられる。いずれにせよ山川沼沢を巧みに利用し防御を図っており、水堀や円郭式城郭など西国の様式も採り入れられている。1880年(明治13年)の大火で城内の建造物はほぼ焼失しており、市街再建の過程で堀の多くも埋め立てられ、官庁街へと変貌した。現在、久保田城のあった一帯は千秋公園となり、秋田県民会館や秋田市立中央図書館明徳館、平野政吉美術館などが整備されている。建造物としては、前述の大火を唯一逃れた御物頭御番所が現存し、本丸新兵具隅櫓、本丸表門が再建されている。