丸岡城


<所在地>

山形県鶴岡市丸岡町の内


<歴史・概要>

岡城は、鎌倉時代から天正年間まで、当地方を治めた武藤氏の時代、大梵字(鶴岡)の南方、六十里越口と大鳥越口のおさえの要地として、後に武藤家尾浦城主となった丸岡兵庫頭義興が在城しました。武藤家のあと上杉氏、さらに最上氏が領有しましたが、元和元年(1615年)の一国一城令により城の楼閣は取り払われました。最上氏改易の後、元和8年(1622年)に酒井氏領となりました。


寛永9年(1633年)、加藤清正公の嫡子・肥後五十四万石の領主加藤忠廣公が幕府に領地を没収され、庄内藩酒井氏に預けられました。酒井氏は、この城跡に忠廣公と生母正応院様の居館、女中の長つぼね、家臣の長屋などを新築しました。この館が丸岡大火によって消失したため、忠廣公が京都にあった館を移築し、承応2年(1653年)忠廣公逝去まで居住しました。忠廣公没後、領地は幕府御領となりました。