高寺城



所在地 秋田県雄勝郡羽後町新町字若見沢
様式 山城
築城年代 元亀年間
落城・廃城 慶長年間
築城者
主要城主 高寺氏
遺構 曲輪 堀切 空堀 竪堀 土塁
おススメ度  

<歴史・概要>
七高山枝峰鞍部の最高標高の10*30mの平坦面と北、東に分かれた8面の連郭性平坦面があり一部は空堀によって区画される。
最高標高の10*30mは櫓的施設で60*30mの平坦面が主郭であろう。
「奥羽永慶軍記」によると高寺甲斐守道親の居城とされ「山内六ヶ村由来記」に小野寺飛騨守と見える。居城地高寺を苗字とした小野寺家臣であろう。高寺城は八反田城と共に由利境の防衛拠点として元亀年間に築城され慶長年間に最上氏の侵攻で落城した。
滝沢山竜泉寺は高寺氏の建立とされ七高神社は高寺氏崇敬の旧祠と伝えられ後代の修験堂跡も伝えられる。

<太閤蔵入地となった高寺村>
天正十八年に実施された太閤検地に抵抗する一揆が小野寺領内で発生した。小野寺氏は五万四千石に換算できる領主であったが一揆発生の責を負わされたのか所領の1/3を削られ太閤蔵入れ地に設定されてしまう。
「古案記録草案」に次のような記載があり以下の村が太閤蔵入れ地(豊臣秀吉直轄地)となったと思われる。
御年貢取り立て等その日記共の写
 一高寺  一田代  一湯沢  一今泉 一深ほり 一岩崎  一関口  一松岡 一八口内  一あひ川
その後蔵入れ地代官に敵対する最上義光が任命されたが支配を継続する小野寺氏との間に紛争が起きその際に落城したと思われる。

竜泉寺。背後の山が城跡になります。

七高山神社入り口。ここから右手に見える山へ入り城跡を目指しました。高寺城に隣接して七高山修験祭祀遺跡があります。

緩斜面を登っていくと竜泉寺裏から伸びる道を見つけました。登城道だったのでしょうか?

途中に祠がありました。緩斜面を更に進みます。

緩斜面を進んで行くと堀切が現れます。ここからが城跡と思われます。

堀切を越え緩斜面方向を見ています。

山頂に向かって階段状に曲輪が延びています。

曲輪。11月最終週の訪城ですが羊歯系植物が青々と生い茂っています。

曲輪

曲輪

主郭と想定される曲輪。60*30mの規模。

主郭から山頂部方向を見ています。山頂部に平坦面を造成し櫓(天守)の機能を持たせています。

最頂部の曲輪。

最頂部の曲輪の周囲に浅い空堀が廻されています。土塁も確認できます。

城の形状は馬蹄形(U字)になっています。別方向を見ています。この先にも曲輪が続いています。

曲輪

曲輪

城の付近には林道が敷設されていて改変を受けていると思われます。帰りはこの道を通り下山しました。