八反田城
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所在地 | 秋田県羽後町新町字馬の峰 |
様式 | 平山城 |
築城年代 | |
落城・廃城 | 慶長年間 |
築城者 | |
主要城主 | 小野寺甲斐守久昌 |
遺構 | 曲輪 空掘 土塁 虎口 土橋 |
おススメ度 | ![]() ![]() ![]() |
<歴史・概要> 雄物川の支流新町川左岸の標高75m、比高25mにある。この丘陵の東と南は急斜な崖で北西に開口しており、現在は北側にグランドが造成され破壊されている。西には高さ3〜5mの土塁が築かれ、その外側に上幅2m深さ1mの空掘が1〜2条認められる。東は幅2mの腰郭が一部認められ竪堀に連続する。主郭は南端の40×15mの平坦面とされ、これに続く各郭は連郭性を呈する8面の平坦面である。大手は西 南の斜面をのぼり、土塁の切れる部分であろうと思われる。 尚、北方山麓は現在も沼地があり、「沼」の地名も残ることから湿地であったろう。 「奥羽永慶軍記」「山内六ヶ村由来記」によれば高寺城の出丸として由利境防衛の任にあったと考えられ、落成当時の城主は小野寺久松(甲斐守久昌)があげられ、築城は不明である。 奥羽永慶軍記巻二十七の「奥羽軍勢、大谷に見次の事、付先陣軍の事」によると最上・由利十二党連合軍と小野寺軍が大沢(雄物川町)高寺、八反田(羽後町)付近にて交戦したとの記述がある。慶長年間の最上侵攻によって落城とされ、城主小野寺久松は剃髪し杉の宮吉祥院の塔寺、久昌寺を開いたとされる。 |
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土塁と空掘。土塁の前には犬走りが設けられています。 |
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土塁 |
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虎口 |
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西側の土塁と空掘。 |
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西側の土塁と空掘。 |
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段差が確認出来ますが改変されていると思われます。 |
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城内の最頂部を見上げる。土塁の延長上に位置していますが隅櫓跡でしょうか? |
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忠魂碑や小野寺家顕彰碑が設置されています。 |
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八反田城は八反田公園となりグランドが造られています。多くの遺構が破壊されたことでしょう(残念) |
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城の北側斜面 |
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城の東側斜面。腰郭が設けられています。 |