田代城



所在地 秋田県羽後町田代字麓
様式 山城
築城年代
落城・廃城
築城者
主要城主 小野寺織部守定道(小野寺式部) 田代三左衛門
遺構 曲輪・堀切・二重横堀・竪堀・土塁・畝状竪掘・切岸・大手道
おススメ度

<歴史・概要>
山麓では、七曲越西馬音内・梨木越軽井沢〜由利玉米・仙道〜真坂越矢島・上到米〜由利山崎に通ずる4本の間道が交錯する。
遺構は東から食い込む急な浸食性の沢斜面を大手に利用し、これを取り囲むように尾根を利用した連郭性平坦面を13面もち、大手道と連続する幅5mの腰郭が囲む。北西南の三方は深さ5m以上の空掘をつくり、斜面には10m等間隔に幅2m以上の竪堀を布設しさらに内側は高さ1mの土塁状の高まりをもって搦め手を固めている。搦め手道はこの空掘によって切られる尾根道で途中、両側に竪掘を設け、土橋風になった防禦施設がある。
「山内六ヶ村由来記」によれば小野寺式部と見え、由利十二頭以前の城主とするが「奥羽永慶軍記」によると西馬音内小野寺氏の矢島救援(天正二十年)に田代三左衛門の名があり、小野寺支配地西辺で、玉米への押さえとして機能したと考えられ、建治年間から慶長年間の機能と想定できる。


麓集落の鳥居付近から直登しました。しばらく登ると竪堀が現れます。

山頂を目指し斜面を登ると複数の曲輪が現れます。城内の曲輪は斜面が切岸で処理されており登るのに難儀します。

曲輪

上段の曲輪から下段の曲輪を見下ろす

曲輪

背後を堀切で遮断し周囲を帯郭が取り囲み独立した曲輪を作り出しています。
櫓もしくは近世城郭で言うところの天守に相当する機能を担っています。

櫓曲輪背後を断ち切る巨大堀切。

大堀切全景 

城の西側には土塁が設置されています。

とても長く内側から土塁に登りやすいようにスロープらしきものが作られています。土塁の下には巨大な二重堀と連続する竪掘が設置されています。

土塁全景

土塁から二重堀方向を見下ろしています。空堀で区画された曲輪を見ることができます。

二重空堀。土塁に沿って続いています。

二重空掘

畝状竪堀。きれいに残っています。長大な土塁・巨大二重空掘と併設されていて強力な防禦施設となっています。

畝状竪堀から見上げる。畝で横移動を完全に封じられてしまいます。正面の曲輪から格好の標的となってしまいます。

切岸。生えている木を伐採してしまえば掴まるものも無く登るのは非常に困難です。

空堀と切岸。西側及び北西方面からの進攻を非常に警戒しているのがひしひしと伝わってきます。

帰りは大手道を発見しそれを通って下山しました。だいぶ荒れていますが直登するよりは楽に城へたどり着けると思います。
麓集落から道が延びています。登る際の目印は右上の倒壊寸前のお社です。

大手道入り口。右側に見える鳥居付近から直登していました。遺構のすばらしい城です。ぜひ訪れてみてください。