館岡城



所在地 秋田県雄勝郡羽後町田沢字川向
様式 山城
築城年代
落城・廃城
築城者
主要城主 小野寺義忠
遺構 曲輪 帯郭 腰郭
おススメ度  

<歴史・概要>
曲師山頂に4面の広い平坦面を認めることができ、それぞれ自然地形の平場を一部手を加えた程度のものと見られる。
防御の構えは深さ1m、幅2m以上の空堀もしくは腰郭がほぼ全周し一部2〜3重に補強される。
付近には館の下、谷地、長橋、曲師の地名が残る。
永禄二年没と推定される小野寺義忠が城主とされる。

<菅原神社>
戦国時代最中の天文元年、当時領主だった小野寺義忠の所へ筑紫諏訪ノ庄安楽寺の住僧快旭律師が、同寺退院後の旅の途中に暫く滞在した。快旭を深く尊崇した義忠は領内大戸村に諏訪山安楽寺を開基し、さらに同僧により尊崇の念を篤くした菅原道真公を勧請せんと計り、天文3年3月25日に原孤山(柏山)の嶺の一所を卜占によって定め、そこに一社を建立した。その故を以って地名から柏天神、諏訪山安楽寺の僧快旭にちなんで諏訪天神とも称する。

産土である大戸地区は、古くからの穀倉地帯で寛政6年の記録には約842石、文化12年には752石収穫のある豊かな地域であり、元禄の頃の記録には煙草も作られていたとある。
<秋田県神社庁ホームページより>

西端の帯郭

西側の曲輪。この後に出てくる曲輪も削平状態は良くありません。

城内中央部の曲輪

南・東・北側を防御する帯郭。城内を取り巻いています(東側)。

東側の曲輪。城内最大面積です。

城内北側の曲輪。

城内北端の曲輪。

城内を取り巻く帯郭(北側)