小野寺輝道



氏名 小野寺輝道
生年 天文三年(1534年)
没年
所在地 秋田県横手市平鹿町上吉田 西法寺
仙北小野寺氏十三代輝道は幼名を四郎丸と云う。
父、稚道が横手佐渡守、金乗坊の反逆で討たれた時に羽黒山へ落ち延び三年後に庄内、由利の加勢を得て父の仇を討つ。
その後朝倉山に横手城を築き居住する。
輝道の代には奥羽永慶軍記に「和賀勢仙北藤倉を攻める事」が伝えられている。
天正十年(1582)に千福遠江守を通じて織田信長に謁見したい旨を伝える文書が残り同年、輝道上洛の留守を狙って由利十二党が
仙北に侵入した大沢山合戦も起こっている。
子の義道に家督を譲り吉田城に隠居したと伝えられる。