三浦館



所在地 大仙市内小友字南尻引
様式 平城
築城年代
落城・廃城
築城者
主要城主 三浦美作(三浦治部少輔政重)
遺構
おススメ度    

<歴史・概要>
「月の出羽路」によると「其地面東西三拾間南北五拾間、外堀四方に周回て障徼の形也」とあるが現在は堀は埋められ土は運び去られて水田となっている。付近には館前、馬場、荒町の地名が残る。
館は戊辰戦争で消失するまで存在し三浦氏の子孫が代々住んでいた。

<三浦氏>
上祖は源頼朝の部将三浦大輔義澄で三浦氏は永禄・元亀の頃までは最上氏の家臣であったが、天正の初めに仙北に来て小野寺氏に属した。館の南西にある七頭館に小野寺縫殿某が住み、その幕下に館主の美作の名が見える。
天正十五年の有屋峠合戦に小野寺氏の旗本として従軍し首帳に名を挙げている。また天正年中に戸沢能登守よりの軍慮軍法の依頼状や慶長八年六郷一揆の功績に対し佐竹東家義堅よりの感状があるという。

城跡は水田・住宅地になっています。周辺を歩きましたが遺構は確認「できませんでした。