神宮寺館



所在地 大仙市神宮寺字館の内
様式 平城
築城年代 正慶年間(1332〜1333年)
落城・廃城
築城者 小野寺道珍
主要城主 小野寺道珍 神宮寺掃部介(前田又三郎) 前田薩摩守利信
遺構 曲輪 土塁
おススメ度  

<歴史・概要>
館は単郭で東西175m南北72mの長方形をなし周囲の水田より3mほど高くなっている。北西隅には土塁らしき跡があり現在は奥羽本線によって南北に二分されている。周囲を水堀で囲まれていたというが水田となり痕跡不明である。近くに館越の字地がある。明治36年頃の鉄道工事の際に館跡から兜の八幡座が発見された(神宮寺八幡神社所蔵)。
館主は小野寺信道の三男小野寺道珍で神宮寺藤七と呼ばれ戦国期には大曲城主前田薩摩守利信の弟又三郎(神宮寺掃部介)の居館といい、利信も天正十年(1582年)大曲城落城後居住したという。
神宮寺掃部介は天正十七年(1589年)に安東氏の内紛(湊騒動)に戸沢氏配下として出陣し討死したという。

神宮寺館遠景

周囲より3m程高くなっています。

神宮寺館曲輪。荒地になっています。土塁跡も一部残っているようですが写真撮り忘れてしまいました。