田子内城



所在地 東成瀬村田子内字厳渓山
様式 山城
築城年代
落城・廃城
築城者
主要城主 田子内治郎
遺構 曲輪  段郭 切岸 空堀
おススメ度  

<歴史・概要>
主郭は面積300uと狭く東西に長い厳渓山の稜線を削って構築されている。
居城者としては奥羽永慶軍記などに田子内治郎の名が見える。慶長五年に最上勢の攻撃を受けたが、余りに険しい要害のため戦わずに引き返したといいこの時に手倉国平(手倉j城主)・岩井川兵部大輔(岩井川城主)の応援を受けたとある。
土地の伝承では北方約1キロメートルの対岸に田子内城の出城があったとされる。

<田子内の城堅固に持つの事(奥羽永慶軍記)>
最上方の丹与三左衛門を大将に稲庭・川連・三梨の味方を率いて300騎が田子内・手倉・岩井川の攻略の為に進軍して来た。
狙半内(横手市増田町狙半内)を攻略した先手500余人が田子内へ侵攻してきたが住民は田子内城へ立て籠もっていた。
田子内城を見上げた丹与三左衛門は登城道が分からない上に城は高所に位置し城へ近づけば投石・落石の為甚大な被害を受けることを思い田子内から引き返した。

田子内城主郭か?

田子内集落から厳渓山まで林道が通っていて車で登ることが可能です。

最上勢が余りの険しい要害のために引き返したエピソードも時代の流れを感じてしまいます。

写真で分かるとおり公園化されいてだいぶ改変を受けていると思われます。

秋田県中世城館報告書では東稜線端に空堀と南側には帯郭が2本確認できるとありますがどちらも確認することは出来ませんでした。

東側の稜線を降っていくと切岸と空堀らしきものと更に下に5段の段郭らしきものを見ることが出来ます。

前出の主郭?から東側へ降っていくと平坦面に出てこの切岸が現れここから更に5段の段郭が続きます。

秋田県中世城館報告書には記載されていないものですので遺構かは分かりませんがどうみても人工物に見えます。

切岸と空掘

段郭が五段設けられています。

田子内城から眼下を見下ろす。眺望に優れています。
慶長五年の最上勢侵攻の際は篭城した人々はどんな心持で進軍する敵を眺めていたのかなと景色を見ながら考えてしまいました。